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遺伝子同じなのに?
ワイン売り場で、シラーとシラーズという似た名前のワインを見つけて、もしかしたら、こんな疑問を抱いたことはありませんか? 実は、この二つのワイン、遺伝子レベルでは全く同じブドウ品種から造られているんです。
驚きですよね。しかし、その味わいやスタイルは驚くほど異なります。その秘密は、ブドウが育つ土地の個性「テロワール」と、それをワインに仕立て上げる人間の手による「魔法」にあります。この記事を読めば、シラーとシラーズの奥深い世界がきっと見えてくるでしょう。
一つのブドウ、二つの顔
シラー、またはシラーズとして知られるこのブドウは、遺伝的には単一の黒皮ブドウ品種「ヴィティス・ヴィニフェラ」です。その起源は長らく謎に包まれていましたが、DNA解析によってフランスの北部ローヌ渓谷が原産地であることが明確に確立されました。アルデシュ地方原産の「デュレザ」と、サヴォワ地方原産の「モンデューズ・ブランシュ」という二つのブドウ品種の自然交配種なのです。
このブドウがオーストラリアに導入されたのは19世紀頃。スコットランドのブドウ栽培家ジェームズ・バスビーによって持ち込まれました。初期のオーストラリアの文献では「シラス(Scyras)」と記されており、「シラーズ(Shiraz)」という名称は、この「シラス」の音の訛りがさらに進んだものである可能性が高いとされています。
同一のブドウ品種であるにもかかわらず、「シラー」と「シラーズ」という名称は、主に地域の醸造慣行と気候の影響を受けた異なるワインスタイルを示すために使われています。伝統的に「シラー」は、フランスのローヌ渓谷や、同様のエレガントで骨格のあるスタイルを採用する地域で生産されるワインを指します。一方、「シラーズ」は、オーストラリアやその他の新世界地域で一般的に使用され、より大胆で果実味豊か、そしてフルボディの表現を意味するのです。
この命名規則は絶対的なものではありませんが、消費者に特定のスタイルの期待を伝えるための意図的なマーケティング選択として進化しました。
気候が育む味わいの個性
シラー/シラーズのブドウは、栽培される気候によってその特性が大きく変化します。冷涼な気候はエレガントで骨格のあるワインを生み出す傾向がある一方、温暖な気候は大胆で果実味豊かなスタイルを特徴とします。
冷涼気候のシラー(旧世界のパラダイム)
フランスの北部ローヌ渓谷に代表される冷涼な気候は、シラーの伝統的な産地です。穏やかな気温が特徴で、ブドウの成熟がよりゆっくりと、長期間にわたって進行します。これにより、ブドウは高い酸度と、より顕著でしっかりとしたタンニンを持つようになります。
冷涼な気候で育ったシラーは、ブドウの果皮に多く含まれる天然の芳香化合物「ロツンドン」の存在により、特に胡椒のような風味が鮮明に表現されます。結果として、冷涼気候のシラーワインは通常、エレガントで骨格があり、土っぽいニュアンスを持ちます。ブラックベリー、プラム、ブルーベリーといった果実味に、黒胡椒、オリーブ、ローズマリー、ラベンダー、燻製肉、タバコ、土のニュアンスといった風味豊かな要素が加わります。
アルコール度数は通常13%から14.5%の範囲です。
温暖気候のシラーズ(新世界の表現)
オーストラリアのバロッサ・バレーやマクラーレン・ヴェールのような温暖な気候は、シラーズと密接に関連しています。これらの地域は豊富な日照と熱を提供し、糖分の急速な蓄積とフェノール類の成熟を促します。
温暖な気候で育ったシラーズは、ブドウの成熟度が高まり、糖分の蓄積が促進されるため、結果としてアルコール度数が高くなる傾向があります(通常14%〜15.5%)。タンニンはより柔らかく、磨かれた質感を持ち、豊かで滑らかな口当たりに貢献します。ロツンドンは存在しうるものの、その胡椒のような風味はしばしば控えめになり、より豊かな果実味やオーク由来のスパイスが前面に出ることが多いです。
結果として、温暖気候のシラーズワインは、大胆で果実味豊か、そしてフルボディです。ジャミーな黒い果実(ダークプラム、ブラックベリー)、ダークチョコレート、甘いスパイス、バニラ、焼き菓子のようなスパイスの風味が期待できます。これらのワインは、豊かで滑らかで飲みやすいと評されます。
栽培がワインの骨格を創る
ブドウの栽培方法は、シラー/シラーズの最終的なワインスタイルを決定する上で極めて重要な役割を果たします。気候条件に応じて、剪定やキャノピー管理の戦略が調整され、ブドウ樹の生育と果実の品質を最適化します。
シラーの栽培(冷涼気候)
冷涼な気候におけるシラーの栽培は、低収量と高い植栽密度に重点を置いています。これは、冷涼な気候で風味を凝縮させ、品質を確保するために不可欠です。目標は、樹勢と結実のバランスを保つことです。
キャノピー管理は、光合成を促進し、均一な成熟を達成するために日照への露出を最適化するとともに、湿度を低減し病害リスクを減らすことを目指します。シュートの間引きや葉の除去といった技術が用いられ、果実周辺への十分な光の透過と空気の循環を確保します。
一方で、温暖な気候におけるシラーズの栽培は、その環境に適した異なるアプローチが取られます。シラーズの栽培(温暖気候)
オーストラリアのシラーズ栽培では、しばしばスパー剪定が採用されます。この方法は、ブドウ樹の均一性を促進し、ブドウ畑の管理を容易にし、バランスの取れた収穫をもたらします。南オーストラリアのような暑く乾燥した地域では、ヘッド剪定(またはブッシュヴァイン)も伝統的な方法として用いられ、より凝縮されたワインを生み出します。
温暖な気候におけるキャノピー管理も同様に重要ですが、日焼けを防ぐために注意が必要です。シュートの間引き、シュートの配置、側枝の管理といった技術が、樹勢を管理し、最適な果実の発達を確保するために用いられます。葉の除去は、日照と散布剤の浸透を高めるために行われますが、過度な露出を防ぐためにバランスが重要です。
醸造家の技が描く表現の芸術
ブドウの品質はテロワールと栽培方法によって大きく左右されますが、最終的なワインの個性は醸造家の手腕によってさらに形成されます。発酵、マセラシオン、オーク熟成、ブレンドといった技術的な選択が、シラーとシラーズの多様な表現を決定づけます。
シラーの醸造アプローチ(冷涼気候)
冷涼気候のシラー醸造、特に北部ローヌ地方では、そのエレガントで風味豊かなスタイルを強調するために、以下のような特定の技術が用いられます。
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発酵技術: 全房発酵は、北部ローヌ、特にコート・ロティにおける特徴的な技術です。ブドウを茎ごと発酵させることで、ワインに複雑さ、スパイシー/ハーブの風味、そしてタンニン構造を加えます。
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マセラシオン期間と抽出の哲学: 長いマセラシオン期間、果皮と果汁の接触時間を長くすることで、ロツンドンの存在感を高め、シラーの胡椒のような特徴を強調することができます。
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オーク熟成の慣行: オーク樽での熟成は一般的であり、フレンチオークが好まれます。新樽と古樽の選択も最終的なプロファイルに影響を与えます。
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ブレンド: 単一品種ワインとして瓶詰めされることが多いですが、コート・ロティでは少量のヴィオニエ(白ブドウ)と混醸されることで有名です。
シラーズの醸造アプローチ(温暖気候)
温暖気候のシラーズ醸造は、その大胆で果実味豊かなスタイルを最大限に引き出すことに焦点を当てています。
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発酵技術: 除梗が非常に一般的ですが、オーストラリアでは全房使用も増えています。
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マセラシオンとキャップマネジメント: シラーズの特徴である豊かなダークフルーツの風味と色を抽出するために重要です。
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オーク熟成の慣行: オークの使用は一般的で、フレンチオークとアメリカンオークの両方、またはそれらの組み合わせが利用されます。近年では、新樽の使用を減らし、繊細さを与える傾向が見られます。
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ブレンド: グルナッシュ、シラーズ、ムールヴェードル(GSM)ブレンドや、シラーズ・カベルネブレンドがよく見られます。少量のヴィオニエをシラーズと混醸することも流行しています。
世界各地で花開くシラー/シラーズ
シラー/シラーズは、その原産地であるフランスから新世界まで、世界各地で栽培されており、それぞれの地域が独自のテロワールと醸造哲学によって、このブドウの多様な表現を生み出しています。
主要なシラー産地とその代表的なスタイル
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フランス北部ローヌ: シラーの原産地であり、世界クラスのエレガントで複雑、そして長期熟成が可能なワインを生産しています。
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コート・ロティ: エレガントなシラーで知られ、少量のヴィオニエと混醸されることもあります。
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エルミタージュ: シラーの典型であり、独特の力強さ、凝縮感、複雑さを持ちます。
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コルナス: 北部ローヌのシラーワインの中で最も大胆でタンニンが強い傾向にあります。
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注目すべき新世界シラー産地:
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アメリカ合衆国(ワシントン州、カリフォルニア): ワシントン州のロックス・ディストリクトは、ジビエ肉、土っぽいトーンを持つ個性的なシラーで知られています。
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ニュージーランド(ホークス・ベイ): 冷涼なスタイルのシラーを生産し、その繊細さで印象を与えます。
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南アフリカ: 優れたシラーを生産し、この品種のベンチマークとなっています。
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主要なシラーズ産地とその代表的なスタイル
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オーストラリア: オーストラリアで最も広く栽培されているブドウ品種であり、世界で最も古い継続的に生産されているシラーズの樹がいくつか存在します。
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バロッサ・バレー: おそらくオーストラリアで最も有名で多産なシラーズ産地です。フルボディで豊か、非常に力強いワインを生産します。
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マクラーレン・ヴェール: 典型的な地中海性気候で、豊かなブルーベリーの果実味とチョコレートの特徴を持つフルボディのワインです。
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クレア・バレー: 温暖な日中と冷涼な夜間が、ブラックベリー、ブラックチェリー、プラム、リコリスの風味を持つフルボディで豊かな質感のワインを生み出します。
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エデン・バレー: バロッサよりも標高が高く、気候が冷涼なため、酸度が高く、よりフレッシュな特徴を持つワインが生まれます。
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ヒースコート: 古代カンブリア紀の土壌でシラーズが理想的に育ち、豊かなダークフルーツ、スパイス、鉄のようなミネラル感を持つワインです。
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ハンター・バレー: オーストラリア最古のワイン生産地域の一つで、ミディアムボディで赤系果実と風味豊かな特徴を持ちます。
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シラーとシラーズを最大限に楽しむ
シラーとシラーズのそれぞれの独特なプロファイルを理解することは、ワインの楽しみ方を深める上で不可欠です。それぞれのワインが持つ風味と構造は、特定の料理との相性を高め、熟成によってどのように進化するかの指標となります。
各ワインの明確なプロファイルに合わせた推奨フードペアリング
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シラー(冷涼気候/ローヌスタイル):
風味豊かで胡椒のような、そして土っぽいニュアンスとしっかりとしたタンニンは、グリルした肉料理(特に燻製肉の風味が土っぽいニュアンスを引き立てるラムチョップ)、ローストダック、ジビエ、そして熟成チーズとの相性が抜群です。
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シラーズ(温暖気候/オーストラリアスタイル):
大胆でジューシー、果実味豊かな特徴と柔らかいタンニンは、バーベキューリブ、スパイシーなソーセージ、グリルステーキ、ハンバーガーのようなボリュームのある料理、さらにはチョコレートデザートとも相性が良いです。
提供温度: シラーは、やや冷涼な温度(約15-18°C)で最も輝きを放つ一方、シラーズはやや温暖な温度(18-21°C)でその真価を発揮します。
両スタイルの熟成の可能性と風味の進化
シラーとシラーズはどちらも優雅に熟成することができます。
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シラー: ローヌ渓谷のような地域の優れたシラーは、長期間にわたって複雑さを増すことができ、5年から15年、中には20年以上の熟成が可能です。時間の経過とともに、革、乾燥ハーブ、燻製肉のニュアンスを発展させます。
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シラーズ: 柔らかいタンニンのおかげで若いうちから親しみやすいことが多いですが、高品質のシラーズ、特にバロッサ・バレーのような地域のものも、長期熟成のための重要なタンニン構造を持っています。その大胆な果実味のプロファイルは、時間の経過とともに、より複雑で風味豊かなニュアンスへと進化することができます。
おすすめのシラー・シラーズワイン
ここまでシラーとシラーズの違いについて深く掘り下げてきましたが、実際にどんなワインを選べば良いのか迷ってしまうかもしれません。ここでは、手に入りやすく、それぞれのスタイルの特徴をよく表しているおすすめのワインをいくつかご紹介します。
シラー(ローヌスタイル)のおすすめ
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M.シャプティエ コート・デュ・ローヌ ルージュ(M. Chapoutier Côtes du Rhône Rouge)
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価格帯: 2,000円~3,500円程度
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特徴: ローヌ地方の代表的な生産者による、手軽に楽しめるシラー主体のワインです。黒胡椒やスミレのようなアロマと、しなやかなタンニンが特徴で、シラーのエレガンスを感じられます。
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E.ギガル コート・デュ・ローヌ ルージュ(E. Guigal Côtes du Rhône ルージュ)
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価格帯: 2,500円~4,000円程度
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特徴: こちらもローヌを代表する生産者。力強さと洗練さを兼ね備え、熟した果実味とスパイスのバランスが素晴らしい一本です。日常使いから、ちょっとしたお祝いまで幅広く楽しめます。
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シラーズ(オーストラリアスタイル)のおすすめ
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ジェイコブス・クリーク シラーズ(Jacob’s Creek Shiraz)
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価格帯: 1,000円~2,000円程度
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特徴: オーストラリアワインの入門として非常に有名で、スーパーなどでも手軽に購入できます。熟したプラムやベリーの果実味が豊かで、滑らかな口当たりが特徴。シラーズらしいパワフルさを気軽に楽しめます。
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ペンフォールズ クヌンガ・ヒル シラーズ(Penfolds Koonunga Hill Shiraz)
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価格帯: 2,500円~4,000円程度
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特徴: オーストラリアを代表するワイナリー、ペンフォールズが手掛ける、コストパフォーマンスの高いシラーズです。ダークチェリーやチョコレートの風味があり、しっかりとしたボディと長い余韻が楽しめます。
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これらのワインはあくまで一例ですが、それぞれのスタイルの特徴を捉えるのに役立つでしょう。ぜひ、実際に飲み比べて、あなたのお好みのシラー、シラーズを見つけてみてください。
高貴なブドウの多様性
シラー/シラーズのブドウは、ブドウ栽培における驚くべき適応性の実例として際立っています。遺伝的には単一であるものの、その二重の名称と明確なスタイルの表現は、テロワール(気候、土壌、地形)、栽培における人間の創意工夫(剪定、キャノピー管理)、そして醸造の芸術性(発酵、マセラシオン、オーク熟成、ブレンド)という複雑な相互作用の直接的な結果です。
冷涼な気候はエレガンスと風味豊かなニュアンスを強調する一方、温暖な気候は大胆で果実味豊かなプロファイルを育みます。醸造家は、その選択を通じて、これらの固有の品質を、世界中で愛される多様なワインへとさらに彫刻していきます。
この記事を読んで、シラーとシラーズが単なる名前の違いではなく、ブドウが持つ無限の可能性と、それを引き出す人々の情熱の結晶であることがお分かりいただけたでしょうか。ぜひ、あなたのお気に入りのシラー、シラーズを見つけて、その奥深い世界を体験してみてください。新しい発見が、きっとあなたのワインライフを豊かにしてくれるはずです。
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